不良研修生を目指してください

おはようございます。研修生のT.K.です。 今年の3月より入所し、研修生ブログの記事を書くことになりました。

今回のブログ記事の見出しにある「不良研修生を目指してください」という一見穏やかではない文言は、僕が初診から現在まで通院しているクリニックの主治医から、入所開始前の診察の中で言われた言葉です。

そもそも不良研修生って何なんだという感じですが、これは主治医の先生が僕のことを理解した上で仰った造語(?)です。 早い話が、「あなたは研修生の中でも『不良』を目指すくらいで丁度よい」という旨のお言葉です。

最近気づいたことなのですが、僕はこれまでに自分を理解することや自分と向き合うこと、自分の為に生活することが少なかったように思います。
自身の本音やエゴに従い生きる、といったことが真の意味でわかっていません。今も尚です。 向き合わなければならないものには真正面から、合わせなければならないものには都合良く……と、「自分本位」が多少弱い人間だったように思います。 これは自他共に認めていることです。

差し当たって、自分の抱えている病気から脱却すること、社会復帰することを踏まえると、自分が新たに変わるためには、内省的なパラダイムシフトが必要だと考えています。
そこで「不良」です。 この記事を読んでいる方が「不良」と聞くと、どういったものをイメージするかはわかりません。 しかし、少なくとも僕にはそれなりに悪友もいる……いたので、世俗的な不良像と僕のイメージするそれは、おおよそ一致していると思います。

それではT.K.は「不良」になるのか、という話ですが、現在進行形で不良になれるよう誠心誠意努めています。 しかし恐らく、これは無理難題なのです。今の僕にとっては。 ここで言う「不良」とは、ルールを破る人という意味ではありません。 何でも真面目に背負い込みすぎず、必要な場面で肩の力を抜ける人、という意味です。

最近では、なるべく不良になることを実践するため、ベルーフという場でも飄々と振る舞ってみたり、Zoomというリモートの画面の向こう側でリクライニング全開で椅子を倒して楽な姿勢をとったりなどしています。 そうしてアウトローに過ごし、やりたいことをやって、はい好調…とはなりません。 なれないのです。

全く他のことをしたり考えたりしていても、研修もとい「自分のやらなければならないこと」から頭が離れ切ることがありません。 それはそれで良いことです。 とても良いことなのですが、僕の場合この性質が有り余っていたことも、心身を消耗させる一因になっていたのだと思います。

そしてありがたいことに、ベルーフではそうした「力の抜き方」も、研修の妨げとしてではなく、自分に合った通所や働き方の方法を探す過程として受け止めてもらえているように感じています。ベルーフのコンセプトの一つに「仕事と遊びと人生を楽しむ」ことにあります。
真面目に取り組むことだけでなく、無理をしすぎないことも含めて、社会復帰に向けた大事な練習なのだと思います。

ベルーフに通所されている皆さんやこの記事をご覧になっている方なら、とうに知っていることだと思いますが、こういうものはつまるところバランスの問題であると考えています。
「自分のするべきことを全うすること」や「他者と協調していくこと」は、とても大切なことです。しかし行き過ぎれば、「それを全うするまで身を焦がすこと」や、「他者を基準に自分の人生を決めていくこと」に繋がりかねません。
それはいずれ、主体性や自我といったものをすり減らすことになるかもしれません。ですが、それで身を滅ぼし、自分も他者も悲しませてしまったら元も子もないのではないかと、ようやく最近わかりかけてきました。
僕にはそういった傾向があります。 故に、それを懸念した主治医の先生から、「あなたは不良のように過ごすくらいで丁度良いんだから」と気づきを与えられました。

僕は、これからも程よく僕が僕であるために、その実践をするために、なるべく不良で在り続けたいと思っています。
そしてベルーフは、僕にとってその「程よい不良さ」を練習できる場所でもあります。真面目であることを否定せず、それでも真面目さで自分を追い込みすぎないように、自分なりの距離感を探していける場所なのだと思います。

この記事をご覧になっている方も、もし僕のように真面目さや実直さで自分を追い込みそうな人を見かけたら、その時はどうぞ不良になることを勧めてやってください。

よろしくお願いいたします。

最後までお読みいただきありがとうございました。